検査は、、

始まりは2年前の2月ごろ、微熱、不正出血で近くの産婦人科を受診した所から。婦人科系の検査をしては結果が出るまで待つ、また検査をしては結果待ちを繰り返すだけ、肌の色がだいぶ黒くなっていて友達に指摘されたことやぶつけた覚えもない青アザが多数ある事、日光に当たると水ぶくれになる事などを告げるとようやく内科系の検査に入る。結果は血小板が8万に減少、ビリルビンが正常値をはるかに超え黄疸が出て当然の値を示した。県内の大学病院に紹介したいと言うので隣県の市立病院へとお願いした。その病院は数ヶ月前に甲状腺の摘出手術を受けていて定期検診に通っていたので都合が良かったからだ。ありとあらゆる検査を受けた、心臓のエコーまで撮った。Drは膠原病の疑いだが数値が揃わないと診断がくだせないと言い定期検診にただひたすら通った、今年になって数値が悪くなってきたらしく全ての薬の服用を禁じられた(血小板が突然減る恐れがある為)2月に今だかつてない病に侵される、高熱、体中のリンパの腫れ、顔に紅斑が出来、関節がひどく痛み、四肢にも紅斑が出来じっとしてられない痒みで本当に夜一睡も出来なかった程、その頃から毎日の症状をメールで姉に報告するようになっていた、、不安だった かかりつけのDrの診察を受けたが相も変わらず採血のみ?薬を処方して万が一何かがあったら困るとの事、、、こんなにこんなに体が悲鳴を上げているのにである。車で1時間半は掛かる帰り道、空っぽの心の中は疑問符と不安で一杯だった「一生こうなんだろうか、、、どんなに具合が悪くなっても、きっとじっと耐えぬくしか、、、」


転院の決意、、、


毎日のメールの内容を姉はDr・Hに相談していたらしい。実は姉は看護婦、しかも膠原病科の病棟に勤務している。疑いのある病気をいろいろと話してくれた「一度Dr・Hに診てもらったら?」の姉の一言がまるで天からの声に聞こえて、迷わず転院を決意した。本当に一筋の希望だった。


Dr・Hとの出逢い、、


大きな総合病院なのでDr・Hが外来に降りている曜日を調べて初診を受けた。当然医師指定で。意外に若い先生で驚いた、どのDrも疑いもせずメールの内容だけで疑ったパルボウィルスB19が案の上ヒットした、、、それから5ヶ月目に数個の病名をいただくに至る、最初に近くの婦人科を受診してから2年以上経過していた、この間に多額の検査費を支払い精神的な葛藤に苦しんだ。もしDr・Hとのめぐり合わせがなければきんきんは今でも、その渦中に淀んでいたはずである。


治療法は?、、、


残念だが無い!病気のことで記したようにきんきんの病気はSLEとパルボウィルスキャリアと言うのが今一番の問題で、その治療法は全く逆なのである、どちらかの治療を進めればもう一方が悪化すると言うお手上げ状態。対処療法しかないのだ。とりあえず最近の発熱の原因が扁桃腺なので今月摘出手術を受けてくる、男の子二人の母であるきんきんは家でも寝込んでいるわけには行かない、せめて発熱しなくなれば大助かり!!手術はかなりドキドキだけどその一心で我慢しよう!!!